代表取締役社長 安部 真良 | HYPER OKAYAMA PROJECT
OKAYAMA
HYPER COMPANY

株式会社 山脇山月堂

代表取締役社長 安部 真良

伝統を更新する
七代目が紡ぐ、
山脇山月堂の未来

明治14年創業、140年続くきびだんごの老舗──株式会社山脇山月堂。
明治・昭和両天皇への献上品に選ばれ、全国菓子大博覧会で数々の賞を受けてきた実績を持つ。
7代目を務めるのは、安部真良氏。
穏やかで飄々とした語り口ながら、その内側には確かな決断力がある。23歳で会社に入り、営業経験ゼロから飛び込みで販路を広げ、赤字1000万円の状況をわずか1年で黒字へ転換。ヒット商品の開発や売り場づくりなどの実践を積み重ね、事業の軸をつくってきた。
「伝統にこだわりすぎないこと」が、山脇山月堂の強さだと安部氏は言う。昔ながらのきびだんごに新しい味を取り入れ、飲食店というまったく異なるステージにも挑戦する。守るだけではなく、更新し続ける。それが老舗を次の時代へつなぐための“安部氏のスタイル”だ。
人が喜ぶ瞬間を大切にし、必要な時には軽やかに形を変える──。
この自然体の経営者が、140年企業の未来に描く景色とは何か。岡山の老舗が次の一歩を踏み出す、その内側に迫る。

2025.09より参加株式会社 山脇山月堂代表取締役社長 代表取締役社長 安部 真良 様

PROFILE
氏名
代表取締役社長 安部 真良
会社名
株式会社 山脇山月堂
出生年
1983年
座右の銘
三方よし
略歴
  • 2002年 香川誠陵高等学校 卒業
  • 2005年 産能短期大学 卒業
  • 2007年 株式会社山脇山月堂 入社
  • 2017年 同社 専務取締役就任
  • 2022年 同社 代表取締役社長就任(7代目)


京橋から駅前、そして桑野へ  
移動が刻んだ140年の軌跡

山脇山月堂の歴史は、岡山という街の変化とともにあった。

創業は明治14年。船着き場があり、人の往来が多かった京橋・天瀬の地で、きびだんごづくりを始めたのが起点だとされる。
その後、岡山駅の開業を見据えて駅前へ移転。現在のビックカメラ周辺──かつて岡山会館があった一等地で店を構え、県外客を中心にきびだんごが“岡山土産”として定着する礎を築く一助となった。

岡山会館の建設を機に一丁目・二丁目裏へ。
さらに昭和末期には、瀬戸大橋の開通で交通量が増えることを見込み、現在の桑野へ拠点を移した。製造量の拡大を図るための、次の一手だった。

こうした移転の歴史とあわせて、同社を語るうえで欠かせないのがきびだんごそのものの評価である。

明治40年には明治天皇、昭和5年には昭和天皇への献上品に選ばれ、戦後の全国菓子大博覧会では、1等賞金牌や総裁賞、名誉大賞牌など、時代をまたいで数々の賞を受賞してきた。岡山を代表する銘菓として、多方面から評価を重ねてきた歴史がある。

「駅前にずっとおれば、大金持ちになってたんですけどね」と7代目・安部氏は笑う。だが、街の変化を読み取りながら柔軟に移転を重ねてきたその歩みこそ、同社が140年にわたり歴史を紡いできた背景でもある。

現在は、きびだんごの製造・販売、大福などの和菓子製造・OEM生産、そして飲食店4店舗の運営という、多角的な事業展開を進めている。

老舗としての基盤を持ちながらも、土地に縛られず変化を続けてきた気質は、いまの事業展開にも自然に受け継がれている。


23歳の飛び込み営業  
赤字1000万円からの再生

安部氏が山脇山月堂に入社したのは、前もって計画されていたことではない。

本家が“山脇”姓を名乗り、自分は分家の立場。継ぐという意識はほとんどなく、短大卒業後は飲食店でバイトとして勤務。いずれは自分でカフェをやりたいと漠然と考えていた。

転機は23歳のとき。父が亡くなり、その少し前から人手不足で会社を手伝っていたこともあって、そのまま入社することになった。

最初に任されたのは、岡山駅周辺の売店にきびだんごを届ける仕事。商品を運び、注文を聞き、補充する。
「こんな楽な仕事あるんだな、みたいな感じでした」と当時を振り返る。入社したばかりで、特に責任感や危機感があったわけでもなく、言われたことをそのままこなす感覚だったという。

しかし、入社から1年後に見た決算で状況は一変する。
1000万円の赤字。
「これはさすがにやばいなと思って、そこからスイッチが入りました」。

営業のやり方を教えてくれる人はいない。そもそも、営業という仕事が“見積もりを出すもの”だということすら知らなかった。何から手をつけていいのか分からない。だから、目に入るものすべてが手がかりになった。

サービスエリアや空港で他社の営業を見かけると、「あ、あれ持っていくんか。見積書ってああやって使うんか」と、現場で気づいたことを少しずつ真似した。自分に知識がないからこそ、“見て学ぶ”しか方法がなかった。
当時、サービスエリアでの取り扱いは1~2箇所だけ。岡山空港にも商品は置かれていなかった。そこを一軒ずつ回り、担当者に商品を見てもらい、置いてもらえるよう交渉を重ねた。

こうした地道な積み重ねが実を結び、入社2年目には赤字1000万円を黒字へと転換。
短期間で会社が息を吹き返す結果につながった。

安部氏は「大きい会社を見て、良さそうなところをそのまま真似しただけです」と笑う。
だが実際には、知識ゼロの状態から飛び込みで営業を覚え、現場で試しながら形にしていった、泥臭い努力そのものだった。

この経験は、のちに生きびだんごや新商品の開発、事業拡大につながる“気づく力”の土台になっていく。



商品を生み出す  
生チョコ、生きびだんご、そして拡大の道

黒字化を果たした後も、安部氏の挑戦は続いた。
売上を伸ばすには、新商品の開発か新規開拓しかない。そう考えた安部氏は、全国のお土産売り場を見て回り、売れ筋の商品を観察した。“生もみじ饅頭”や“生チョコ”が流行っているのを見て、「じゃあ、“生きびだんご”もあっていいよな」と思い、新商品を開発。チョコきびだんごも生まれた。

「リスペクトからの発想です。売れているものを見て、きびだんごに落とし込んだだけなんですよ」と安部氏は謙遜するが、ここで重要なのは“売り方”まで設計したことだ。

生きびだんごが大きく伸びた背景には、売り場の整備がある。
当時、販売強化のためにピンク色の冷凍庫を無償で置いて回った。目に付きやすく、扱いやすい売り場を先に作ることで、商品が動く環境を整えたのだ。

「置いてもらったら、勝手に売れていくんですよ。あれはラッキーでしたね」と笑うが、売り方まで含めて考えたからこそ生まれたヒットだった。

当時のラインナップは3~4種類ほど。 新しい味をつくるたびに、取引先からの相談も増えていった。 マスカット、白桃、チョコ──岡山の特産を活かした味や、若い世代に受け入れられる味を次々と開発していくうちに、自然と商品の幅は広がっていった。

それに伴い、新しい“売り場”も増えていく。どこかのサービスエリアで売れれば、他のサービスエリアからも声がかかる。「一箇所で売上げが上がると、他からも“あそこで売れてるなら”ってなるんですよ」。宣伝効果が波及し、取引先が自然と増えていった。

23歳から30歳前後まで、安部氏は営業の第一線に立ち続けた。「いろんな方に助けてもらって。ご縁で繋がった先でも売り上げは伸びていきました」。人付き合いを大切にし、その積み重ねの中でビジネスが生まれる。安部氏はそのことを、現場で学んだ。

30歳の頃、専務に就任したが、実質的な経営判断はそれ以前から行っていた。代表への就任はコロナ後だが、肩書きは変わっても、やっていることは変わらない。「呼び名が変わっただけで、感覚は一緒ですね」と笑う。

だが、この順調な流れに、予期せぬ展開が訪れる。 2020年、コロナ禍である。


コロナ禍の決断  
きびだんごだけでは生き残れない

コロナ前まで、山脇山月堂の主力はきびだんごだった。
観光客向けの需要に依存しており、県外客の売上が大部分を占めていた。しかし2020年のコロナ禍で、観光は止まり、売上は急激に落ち込んだ。これまで積み上げてきた販路が、一気に機能しなくなったのだ。「このままでは立ち行かない」。そう感じた安部氏は、他事業に目を向ける。

まず取り組んだのが、“大福の製造”と“OEMの積極受注”への転換だった。
求肥を扱う技術があれば大福の製造は難しくない。既存設備を活かせるため、観光需要に左右されない収益源として現実的だった。県外企業からのOEM依頼も増え始めており、その流れを捉えて製造ラインを整備していったのだ。

同時に、飲食事業にも踏み切った。
事業再構築補助金を活用し、2020年にオープンしたのが「豆と餅」──古新田のバイパス沿いにある、ダイヤ工業敷地内の店舗だ。人通りの多い立地とは言えないが、安部氏には「岡山の人に喜んでもらえる店にしたい」という明確な狙いがあった。
これまで同社の商品は県外客向けが中心。観光が止まった今こそ、岡山の人の日常に向けた事業を立ち上げるべきだと考えた。

店づくりはデザイナーとの縁でスムーズに進んだが、郊外という立地のハンデを乗り越えるため、オープン前から広告宣伝に力を入れ、知名度を上げる戦略を取った。
メニュー構成も工夫した。和風カフェだけでは弱いと考え、しっかりした食事を提供することに。JCで知り合った「増田豆富店」の増田氏に声をかけ、コラボレーションを実現。健康的な食事メニューと美味しい和スイーツを提供する人気店となっていく。

さらに特徴的だったのが、きびだんごを食事につけるというアイデアだった。
「岡山の人って、きびだんご食べないんですよ。」と安部氏は言う。お土産として買うが、自分では日常的に食べない。
だからこそ「豆と餅」では、食事セットにきびだんごを組み込み、日常の食卓の中で自然に触れてもらえる導線をつくった。お土産ではなく“普段の一皿”としてのきびだんご──それを体験してもらう試みだった。

飲食店の立ち上げには「迷いはありましたけど、まあ、死にはせんだろう。ダメだったらやめればいい。挑戦せずにダメになるよりは、とにかくやってみよう」という考えで臨んだという。この覚悟と判断が、難局を乗り越える力につながった。


伝統にこだわりすぎない  
タブーを壊す経営哲学

「うちの会社の強さって、伝統にこだわりすぎないところだと思うんですよね」。
140年続く老舗でありながら、“守ること”ばかりを是としない。長く続いてきたからこそ“当たり前”に疑問を投げかける。

きびだんごといえば、素朴な味で昔ながらの土産物──。
そうした固定観念に縛られず、チョコ・マスカット・白桃、そして生きびだんごなど、これまでになかったものを積極的に展開。若い世代にも受け入れられる商品を作り続けてきた。

飲食店の展開もそのひとつ。きびだんご屋がカフェをやる──そんな業態転換を試みる企業は少ないが、安部氏にとっては自然な流れだった。もともと飲食店で働いてきた経験があり、いつかカフェを開きたいという思いもあった。それがコロナ禍での生き残りの判断と重なり、形となった。

現在、山脇山月堂は4店舗の飲食店を運営している。「豆と餅」1号店に続き、2022年、杜の街プラザに2店舗目の「豆と餅」をオープン。「気軽に健康」をコンセプトに、ヘルシーな豆腐料理と和スイーツを提供しており、幅広い世代に支持されている。さらに2024年、杜の街プラザに「うどん いりこのお出汁」も出店。さんすて岡山には「大福屋山月」を展開している。

きびだんごや大福という自社商品を軸にしながら、食事やカフェという形で岡山の人々に届ける場をつくる。製造と販売、その両輪を回すことで、山脇山月堂は新しい事業モデルを確立しているのだ。

「これはこういうもの」「これはやらない方がいい」。
そうした“なんとなくの制限”を壊すのが、安部氏の経営姿勢だ。

伝統に寄りかかって守りに入るのではなく、
伝統を土台にしながら、時代に合う形へ更新していく。
山脇山月堂が140年続いてきた背景には、その柔軟さがある。

そして、その柔軟さは決して戦略だけではなく、
安部氏自身の価値観──自然体の軽やかさ──にも根ざしている。


「喜んでくれたら嬉しい」自然体の価値観と、支える人材観

安部氏にとって“熱狂”の原動力は、複雑な理念や大きな目標ではない。「人が喜んでくれたら嬉しい」という、ごくシンプルな感覚だ。
店で食べた人が「ごちそうさま」と声をかけてくれる。売り場で「この商品、よく動くわ」と言われる。そういう直接的な関わりや反応が嬉しいのだという。

「お店をやってて嬉しいのは、お客さんの反応が直に伝わること。うどん屋に、週6で来てくれるお客さんがいて。『今日も美味しかったよ』って言ってくれる。結局、そういうのが一番嬉しいんですよね」。
営業でも店づくりでも、続けて来てくれたり、声をかけてもらえたりする。その小さな積み重ねが、次の行動のエネルギーになる。

それは人とのつながりでも同じ。「困ってたら助けたいし、頼まれたらできる範囲でやる」。
本人は「ただのおせっかいです」と笑うが、その姿勢が人の縁を広げ、営業でも店舗づくりでも、自然と協力者が増えていった。

従業員との関わり方にも、安部氏の人柄が滲み出ている。
「やりたいことがあるなら、やってみたらええよ」と背中を押す。
人を細かく管理するというよりは、それぞれの向き・不向きを尊重するスタンスだ。「ガンガン営業したい人もいれば、黙々と作業したい人もいる。どんな生き方をしたいかは、その人次第。その中で、一生懸命やってることはちゃんと評価していく。それぞれが幸せな生活を送れるようにしていきたいという思いは持ってます」。

そして、任せるべきところはしっかり任せる。人が増え、事業が広がる中でも、動ける人が動ける流れを大事にしてきた。

経営者としての判断は大胆でも、その根っこにあるのは素朴で実直な人柄。
喜んでもらえることが嬉しい。困っている人がいれば支える。個人の生き方を尊重する。
その自然体の価値観が、人との縁を広げ、事業の転換や新しい挑戦を下支えしてきた。


次の展望  岡山から、もう一歩先へ

今後について尋ねると、安部氏は「東京に出したいんですよね」と話す。
岡山の素材を使ったスイーツを、東京の人にも気軽に食べてもらえる場所をつくりたい。
飲食店という形で東京に進出し、きびだんごや大福を通じて岡山の魅力を伝える──その構想が、具体的に動き始めている。

本業であるきびだんご・大福製造も着実に強化していく予定だ。物価の上昇が続く中でも利益を確保し、従業員の待遇を少しでも良くしたいという思いがある。
「売上を上げて、みんなの給料も上げて、ハッピーになれたらいいんですけどね」。
理想と現実の間で悩みながらも、その方向性はぶれていない。

OEM事業も拡大。山脇山月堂の製造技術が評価され、県外企業からの依頼が増えている。
自社ブランドとOEM、その両輪が安定した経営基盤をつくっている。

そして個人として描く未来は、これまた“安部さんらしい”。「最終的には、一人で居酒屋とかやりたい。利益とか関係なく、道楽で。たくさんお金が欲しいとかもないですし。自由が好きなんですよ」。

名誉欲や出世欲とは無縁の、自然体の経営者。自由に楽しむことを大切にしている安部氏らしい将来像だ。

岡山青年会議所で理事長も務めた安部氏は、地域へも想いを寄せる。「岡山が元気になったらいいんですよ。人口が増えれば街が盛り上がるし、街が盛り上がれば住みたいって人も増える。結局そこだと思うんです」。自分が好きなことをやり、周りの人々を巻き込み、岡山という場所を面白くする──日常の実感からにじむ地域観だ。

どこか飄々としていながら、芯はぶれない。
やるべき時に動き、必要なら形を変える。
その柔軟さと自然体の価値観が、140年続く老舗の“次の140年”を静かに押し出している。

COMPANY 会社概要
会社名
株式会社 山脇山月堂
所在地
岡山県岡山市中区桑野708-1
業種
製造業
設立
明治14年(1881年)
資本金
1,000万円
従業員
30名
事業内容
きびだんご製造・販売、大福等の和菓子製造・販売、飲食店運営
URL
https://www.dango.co.jp/