代表取締役 脇 優太 | HYPER OKAYAMA PROJECT
OKAYAMA
HYPER COMPANY

株式会社 脇木工

代表取締役 脇 優太

面白いほうへ。
脇木工が育む、自然体のものづくり

戦後の鉱山町で生まれた一枚のタンスから物語は始まった。
「もっとたくさんの人に、幸せの箱を届けたい」
創業者である祖母の想いは、70年を経た今も受け継がれている。
高度経済成長期、火災や洪水、輸入家具の普及など幾度もの危機を越えながらも、「自分たちがつくりたいものを正直に届ける」という家族の想いは揺らがなかった。その精神は、三代目・脇優太氏と兄淳朗氏へと受け継がれる。
東レのエンジニアから家業へ。工場の機械化に取り組み、石川康晴氏との出会いで新たな扉を開き、コロナ禍でECサイトを立ち上げた。現在、家具ブランド「MOMO NATURAL」は全国8店舗を展開。年商25億円を超える企業へと成長を遂げた。
その基盤にあるのは、脇氏の自然体のスタイル。到達点を決めず、出会いを楽しみ、日々の一喜一憂を大切にする。
そして今、美咲町の山中に"ビレッジ"という新たな挑戦が始まった。家具から暮らしへ、暮らしから地域へ。その小さな循環が、次の70年を育て始めている。

2025.09より参加株式会社 脇木工 代表取締役 脇 優太 様

PROFILE
氏名
代表取締役 脇 優太
会社名
株式会社 脇木工
出生年
1976年
座右の銘
胆力
略歴
  • 2001年 早稲田大学大学院理工学研究科 修了
  • 2001年 東レ株式会社入社。エンジニアとして機械開発に従事
  • 2004年 27歳のとき、株式会社脇木工に入社
  • 2010年 オカヤマアワード〈建築・インテリア部門〉受賞
  • 2012年 代表取締役に就任(兄・淳朗氏と共同代表)

戦後の鉱山町から生まれた、“幸せの箱”

岡山県中央部、美咲町(旧柵原町)。山と田畑に囲まれたこの土地で、脇木工の物語は始まった。戦後間もない昭和28年頃、炭鉱で栄えた町の一角。脇優太氏の祖母・智慧さんが日用品を扱う小さな雑貨店を開き、生活に必要な家具なども販売するようになったのが原点だった。

戦後の復興期は、モノが飛ぶように売れた時代。何もなかった家に、ひとつ、またひとつ日用品や家具が増えていく。
以前は柳行李(やなぎごおり)にしまっていた着物をタンスに収める  そんなふうに生活が変化し、人々は“暮らしの豊かさ”を実感できる時代になった。タンスは、家庭の幸せの象徴だった。

「もっとたくさんの人に、幸せの箱を届けたい」  
そう願った智慧さんと祖父の太郎さんは家具の販売だけでなく、やがて職人を集めて自ら家具づくりに乗り出した。

やがて日本は高度経済成長期を迎える。大家族から核家族へと暮らしの形が変わり、家具の需要も拡大した。1964年に株式会社脇木工として法人化。しかしその間には工場の火災や吉井川の大洪水、輸入家具の普及など、何度も経営の危機に直面した。それでも事業を受け継いだ脇氏の両親は「自分たちの作りたいものを夢を持って作れる家具メーカーでありたい」という信念を貫き、挑戦と再建を繰り返しながら、企業としての基盤を築いていったのである。
やがて事業は息子たちの代へ  

創業から70年以上を経た今、従業員は100名を超え、年商25億円規模の企業へと成長を遂げた。

家具ブランド「MOMO NATURAL(モモナチュラル)」として、東京・自由が丘の旗艦店をはじめ全国8店舗を展開。暮らしの中に寄り添う“自然体の美しさ”を届け続けている。

拠点は今も変わらず、山々に囲まれた美咲町。吉井川が流れるこの地が、ブランドの原点である。

継承と機械化  
自然体で整えていく現場

脇優太氏が家業に戻ったのは27歳のとき。

早稲田大学大学院の理工学研究科を卒業し、東レでエンジニアとして開発業務に携わっていた彼は、当初家具づくりの道に進むつもりはなかった。

しかし、東京で兄・淳朗氏が店舗を立ち上げたことで、美咲町の工場を支える人間が必要になり、

脇氏は美咲町へ戻る決断をした。

東レで扱っていたのは、精密機械。高速で動く最先端の設備だった。それに比べると、木工の機械は「簡単で楽しかった」という。「機械をいじったり、モノを作ったり」  脇氏にとって、美咲町の工場は新たな遊び場となった。それと同時に、新たな課題も見えてきた。

それまでの家具製造は、職人が一台ずつ機械に張り付き、手作業で調整しながら加工する方式だった。職人の技と経験に支えられた現場には、人の手の温もりがある。だが一方で、手作業の比重が大きすぎると、時間もかかるし、出来上がりの質にばらつきも出る。工程を整理すればもっと品質も効率も上がると考えた。

2012年、34歳で代表に就任してからは、工場の近代化に力を注いだ。
「人が減ったときが、見直すタイミングなんです」
その言葉どおり、必要なときに必要な設備投資を行い、機械を導入していった。
「人を減らすために機械を入れるのではなく、定年とかで人員が減ったとき、その穴埋めをするように機械を入れる」。
東レで培った設備設計の経験が、脇木工の工場に新しい視点をもたらした。
人の感覚と機械の精度をどう共存させるか。そのバランスを考え、自然に整えていった。

現在、工場には約30名が勤務。大型機械と効率的なライン、手作業の行程が絶妙にマッチして整備されている。機械が人を置き換えるのではなく、機械と人が協働する。その先に、質の高い家具が生まれていく。


MOMO NATURALの原点
ナチュラル文化の夜明け

1994年、脇木工は初の自社ブランド「momo house」を立ち上げた。
“自分たちが好きな家具を、自分たちの感覚でつくる”。
無垢材の質感や素朴なフォルムを活かした“暮らしに寄り添う家具”という方向性を打ち出していった。

転機となったのは、東京・晴海で開催されたギフトショーへの出展。
展示された家具が、インテリアスタイリストの草分け的存在・岩立通子氏の目に留まり、雑誌で取り上げられたことをきっかけに、全国からの問い合わせが相次ぐ。

当時の家具業界には、「カントリー」というジャンルはあったが、「ナチュラル」という言葉はまだ一般的ではなかった。けれど、その“ナチュラル”という響きが、momoの目指す“自然体の美しさ”と重なり、ブランドの方向性を決定づけていく。

1997年、ブランド名を「MOMO NATURAL」に改めた。
「毎日の暮らしに自然に溶け込むこと」をテーマに、家具を通じて“心地よい生活のかたち”を提案するブランドへと成長した。東京・自由が丘にショップ1号店をオープンしたのもこの頃だ。
主婦と生活社の雑誌カタログや、『an・an』『non-no』といった媒体を通じて、ナチュラル文化が広がっていく。その潮流の中に、MOMO NATURALも乗った。

白木の家具と、やわらかな光に包まれた店内。
装飾を削ぎ落とした空間には、“つくりすぎない美しさ”があった。
派手な宣伝よりも、使い続けるほどに愛着が増す家具を、誠実につくり、丁寧に届ける。
その姿勢が口コミで広がり、MOMO NATURALは、“ナチュラルインテリア”という新しい価値観を象徴する存在となった。


ネットワークが広げた舞台  
出会いが導く進化

1990年代後半から2000年代にかけて、「MOMO NATURAL」は全国へ店舗を展開。 家具を単なる“モノ”としてではなく、“暮らしを提案するメディア”として発信するスタイルは、 インテリア業界の中でも独自の存在感を放っていた。

そんな折、脇氏は岡山の実業家・石川康晴氏(ストライプインターナショナル創業者/現・公益財団法人石川文化振興財団 理事長)と出会う。2010年、岡山の若手経営者や文化人を表彰する「オカヤマアワード」で受賞したことがきっかけだった。
美咲町へ戻って数年、常務取締役として工場改革に取り組んでいた時期である。
「うちのような地場の家具屋を取り上げてもらえたのは、大きな励みになりました。岡山のいろんな経営者の方やクリエイターと出会うことができたのも大きかった。岡山には、実直に良いものをつくる人が多い。その魅力を、もっと外に伝えていきたい」
地方のものづくりが持つ発信力に、脇氏は手応えを感じ始めていた。

石川氏との縁は、その後も続く。
自由が丘の一等地〈Gビル〉にMOMO NATURALが入居することになったのも、二人の縁が繋いだ出来事。
「石川さんが使われていたテナントを引き継ぐ形で声をかけてくださって。すごくありがたかったですね」
脇氏は当時をそう振り返る。
自由が丘の街並みの中に、ブランドの世界観を体現する店舗が誕生した。

MOMO NATURALの強みは、“つくって、出して、反応を見る”というサイクルにある。
「やっぱり街に店があると、リアルな声がすぐ返ってくる。それを次のものづくりに生かせるのが強みですね」

もう一つの強みは、拠点が岡山・美咲町にあることだ。「店舗でお客様に“どこで作っているのか”を聞かれたとき、“この山間の地で作っています。うちは自社で完結してるんです”と答えられる。それがすごく大きい」。
「国産」「自社製造」「岡山」  この三つがMOMO NATURALの信頼を支えているのだ。

つくる場所と売る場所、その距離の近さが、ブランドの温度を保ち続けている。

コロナ禍が生んだ“働き方の選択肢”

コロナ禍は、脇木工にとって大きな試練であり、同時に転機でもあった。来店はなく、売上も激減。脇木工は迷わずECに舵を切る。
「やるしかない」。
体制を整えながら販売をオンラインへ切り替え、やがてECの売上は“店舗1店分”に匹敵する規模へと育った。

このECサイトが生み出したのは売上だけではない。新しい働き方の選択肢だ。
出産や転居で店舗を離れた元販売スタッフが、自宅からECサイトの運営業務に従事。現在でも、3名がリモートで勤務しており、現場の接客で培った“お客様視点”を活かしつつ、場所に縛られない働き方が実現している。

ECと店舗は、どちらが上でも下でもない。 コロナ禍をきっかけにECの売上は伸びたが、 「だからといって、店舗が不要になるわけではない」と脇氏は言う。
店頭でお客様と向き合う中で得られる感覚や言葉には、 画面越しでは掴めない“温度”がある。
「お客様がどんなところを気にされるか分かっているからこそ、出来ることも多い」。
リアルとオンライン  それぞれの現場が感覚を共有し、 互いを補いながら、ブランド全体の質を底上げしている。

「ほんまにやって良かった」と脇氏は振り返る。ECサイトの立ち上げは、人と事業を支えるもう一つの地盤になった。店舗、工場、EC。それぞれの強みが補完し合う体制が、人と事業の両方を支える基盤となっている。

野放しと見守り
脇木工の組織づくり

脇木工の組織づくりのスタイルは、一言でいえば“野放し”と“見守り”だ。
「基本、あまり細かいことは言わないんです。まずやってみさせる。失敗するかもな、と思っても、先回りして言わない」。
社員が自分で考え、行動し、たとえ失敗したとしても、その経験が成長につながると考えているからだ。

「“ああせえ、こうせえ”って言われ続けたら、結局みんな指示待ちになるでしょ」。
トップが鶴の一声で決めるのは簡単だし、物事も早く進むだろう。だが、それでは人は育たない。
「放っておいた方が、本人が一番成長すると思うんです。失敗しても、次は自分で考えるようになるから」。
もちろん、放置しているわけではない。「どうにもならんわってなったら、その時はちゃんとミーティングする。でも基本は任せる」。

そう語る脇氏のスタンスは、経営者というより“現場の仲間”に近い。
「うちは日報もない。報告とか共有は、基本全部LINEでやってるから」。
工場には「ファクトリー掲示板」というLINEグループがある。「“今日は子どもの運動会なんで休みます” “OK、いってらっしゃい”って感じ。そんなやり取りをみんなが共有できるからこそ、安心して働ける空気が生まれている」と脇氏は楽しそうに話す。

便利なツールは、どんどん使ったらいい  
日報や会議など、変に肩肘張るのではなく、この“フラットな関係性”が、脇木工の風通しの良さをつくっている。

「“この子は絶対この職種の方が合うのに”と思うこともある。でも、それはその人の生き方。無理に会社の色に染める必要はない。いろんな価値観があっていいと思う」。
社員それぞれの生き方を尊重する姿勢が、会社全体の居心地を生んでいる。

管理しすぎず、放任しすぎず。“野放し”のようでいて、ちゃんと見ている  
この絶妙な距離感が、脇木工らしい空気をつくっている。

“熱狂”ではなく、”一喜一憂”を楽しむ

脇氏はいつも楽しそうで、会うと元気がもらえる。
“ハッピーに生きる”を地で行くような人だが、その原動力は“熱狂”なのだろうか。そう尋ねると、彼は首をかしげて笑った。
「あんまり“熱狂”って俺の中にないかもしれない。 “うわー!”とか“やるぞ!”みたいな瞬間が“熱狂”だとしたら、そんな感じでもない。“あ、今これが面白いな”って思う瞬間を楽しんでるだけ、という感じかな」。

到達点を決めない。ゴールも固定しない。
「最初から富士山の頂上を目指して登るタイプじゃないんです。
なんとなく歩いてたら、“あれ、気づいたら富士山の上じゃん”みたいな、そういうのが好き」。
やってみて、違えば引き返す、そんな潔さもある。


「仕事って、毎日が同じようで全然違う。うまくいく日もあれば、思うように進まない日もある。でも、そういう波があるから面白い」。

大きな目標に向かって一直線に突き進むのではなく、日々の小さな挑戦と発見を楽しむ。
その積み重ねが、会社を前に進ませている。 

「やりたいことはやりたい。やりたくないことはやらない。
でも、人と繋がって、誰かと何かをやるのは楽しいよね」。

 日々の小さな挑戦と発見を積み重ねながら、今日も“面白いほうへ”  

“ビレッジ”という実験場  地域への恩返し

脇氏がいま最も力を注いでいるのが、美咲町の山中で進める「クラフトビレッジ」構想だ。
「地域を盛り上げることの一環ですね。会社から、美咲町に対して何か還元できれば」。

会社から少し離れた場所に、約5.8ヘクタールの土地を取得。雑草が生い茂っていた土地を整え、トレーラーハウスを設置し、作家やクリエイター、職人、移住者などがゆるやかにつながる“村”をつくり始めた。

整地が進むと、近隣住民から「うちの土地も買ってよ」と声がかかり、区域は自然と広がっていった。
「草ぼうぼうだったところが綺麗になって、道路も新しくなる。それだけで、みんなワクワクするじゃん。そこに建物ができたら、“ちょっと入ってみようかな”ってなる。そういうのが良いよね」。

そして、これは社員への還元でもあると脇氏は言う。

例えば、もうすぐ定年を迎える社員がいるとする。
「その人が“まだ働きたい”と言うなら、草刈りでも、整備でも、ビレッジの仕事をお願いできる。そうやって、本人が働けるまで働いていいよって言える環境づくりもしていきたい」。
会社の余白が増えることで、社員が“自分らしく働き続けられる選択肢”も広がっていく。

「面白い人が集まって、勝手に化学反応が起きて何かが生まれる。それが一番いいと思う」。

脇氏を動かすのは、“地域そのもの”というより“そこにいる人”だ。「結局、場所より“人の魅力”なんです。人が集まれば面白いことが起きる。それを美咲町でやりたいだけ」

脇氏が描く未来は、クラフトビレッジだけでは終わらない。
地元の杉やヒノキを活かした循環の仕組み、耐久性を高める木材開発、トレーラーハウスの設計、作家が集まる環境づくり  すべてが一本の線でつながっている。

現在のビレッジの完成度は20%程度。これから徐々にかたちになっていく段階だ。
「これが最終どうなるかは分からないし、数字で測ろうともしていない。家具づくりもそうやってきた。“これが売れるだろう”ではなくて、自分たちが作りたいもの作って、それが売れるかどうか。とりあえず、面白そうだからやってみよう!って感じ」。

ゴールを決めつけず、その時々の出会いを楽しみながら進んでいく  

その自然体こそが、脇木工の強さであり、ものづくりの源だ。

創業から70年余り。祖母が遺した「金は天下の回りもの」「一歩一歩やりなさい」という言葉は、今も会社の根底に流れている。
「未来をどうするかって、難しく考えなくていいと思うんです。やってみて、続けばそれが文化になる。この町で、そんな“続くもの”をつくっていけたら」。

家具から暮らしへ。会社から地域へ。その小さな循環が、美咲町の未来をあたためている。

COMPANY 会社概要
会社名
株式会社 脇木工
所在地
(本社・主要拠点) 岡山県久米郡美咲町(旧柵原町)塚角1838
業種
製造業
設立
1953年
資本金
1,000万円
従業員
118名(2025年9月時点)
事業内容
家具の製造
URL
https://momo-natural.co.jp/